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ご挨拶

ご挨拶

赤ちゃんから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、気軽に相談でき、安心できるホームドクターをめざしています。

患者さんが気軽に入れて、待ち時間が少なく、誰でも何でもすぐに診て、よくある病気は治療し、やっかいな病気は専門医に紹介し、薬も会計もすぐにでき、安心できるといった常に患者さんの期待を裏切らない医院をめざしております。

 

 

 

 

 

 

院長 一瀬 亨(いちせ とおる)

所属学会・資格

  • 日本小児科学会 小児科専門医
  • 日本小児科医会 「こどもの心」相談医

 

院長のプロフィール

幼少時代

せきたんをつんだきかんしゃ 作:一瀬 亨

昭和31年1月15日生まれ。

3歳のとき機関車を画いた絵で、小学館の「よいこ」という雑誌に載ったのものです。

賞品には、緑色で横に大きく「小学館」と書いた3輪車をいただきました。

保育園の頃は病弱でよく自家中毒をおこして、近くの小児科の先生のお世話になっていました。小さい頃から本が好きで、本を読みいろいろと空想するタイプの子だったのですが、父には好きな本をほしいだけ買ってもらえて、大変感謝しています。

 

小学生~高等学校時代

雲浜小学校

小学校の低学年の頃は早生まれで、体も弱かったということもあって、落ちこぼれだったのですが、小学校の3年生のときに、「本の読み方が非常にうまい。棒読みじゃなく

て、感情をこめて読んでいる。」と先生からほめられてから、自分に自信がつくようになり、勉強もおもしろくなってきました。運動会のときのもので、小学校6年のとき、鼓笛隊の総指揮をして、運動会や福井国体の市内のパレードをしました。

小浜中学校、県立若狭高校を経て、自治医科大学に入学。 

 

大学時代

空手部

大学では空手部に入り、6年まで練習にあけくれました。5年の時に初段、6年のときに二段になりました。

 

中国にて

大学の4年の時、訪中団の一員として日中国交成立前の中国を訪問しました。

北京、石家荘、西安、上海に行き、針麻酔の手術や、断手接合の手術の見学をしました。

シルクロードの出発点である西安で西安動物園を見学したとき、パンダを飼育している檻のなかに入れてもらえました。赤ちゃんパンダが僕のにおいにひかれたのか、しがみついてはなれませんでした。動物でも人間でも子どもにはとても受けがいいのです。

 

勤務医を経て、開業医へ

福井県立病院で、初期研修。

卒業後は福井県立病院で研修を行ないました。

1年目は全科ローテート。

2年目からは、専門の小児科の研修をおこないました。

もともと子ども好きで、自分自身も「弱みそ」「泣きみそ」「あかんたれ」で、よく吐いて近くの小児科医院を受診していたのですが、恩返しの意味も含めて小児科医を志望しました。

1年目と2年目の間に結婚。新婚旅行は、アメリカ西海岸で憧れのロスアンジェルスのディズニーランドに行きました。(東京ディズニーランドはまだありませんでした。)

3年目:公立小浜病院小児科 一人医長 

4年目:名田庄村診療所所長

5、6年目:小浜病院小児科

7、8年目:県立病院小児科副医長

9~11年目:小浜病院小児科 一人医長として勤務

12年目:平成3年11月「いちせクリニック」開業 小児科・内科標榜

 

小浜で生まれ、小浜で育ち、自治医科大学の6年間と福井県立病院での研修期間4年間以外は、小浜に住んでいます。赤ちゃんから、90歳代のおじいちゃん、おばあちゃんまで診ているので、4世代に渡って受診してくれる家族もいます。先日80歳の元気なおばあちゃんに「先生に任せるから先生が生きている限りずっと診てねえ~。」と頼まれました。家族で来てくれると、家庭環境や家族性疾患がすでに分かっているので診断に有用で、インフルエンザや急性胃腸炎に家族が罹ったときも、複数の医院へ行かなくて済みます。

長年小児科医をしていると、診ていた子どもたちがパパやママになり、子どもを連れて来院するようになります。いままで新聞では、「お悔やみ欄」だけ見ていましたが、最近は「結婚しました欄」や「誕生しました欄」も楽しむようになりました。小児科医は、子どもに元気を届ける仕事だと思います。「先生の顔を見るだけで治った気になるんです」を目標に、高齢者になりましたが、これからも体を鍛えて、外来では子どもたちからパワーをもらって、子どもたちに「大丈夫オーラ」を放てればなあと思います。

令和3年11月01日で、開業30年を迎えました。

 

 

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