杉田玄白「養生七不可」
1774年(人の中ながめて調べた解体新書と覚える)に「解体新書」を刊行した杉田玄白は、若狭国小浜藩医でした。
2017年は、杉田玄白の没後200年にあたり、小浜市でも記念式典が行われ、酒井シズ先生による「解体新書誕生物語」と題した講演会が開催されました。2018年は養老孟司先生による「杉田玄白から見る好奇心の壁」と題した講演会と、食文化館で「杉田玄白料理コンテスト」が開催され、小浜医師会会長の私も審査員として参加しました。
杉田玄白は、生来虚弱の体質で、結婚したのも「ターヘルアナトミア」を翻訳中の41歳と晩婚でしたが、妻・登恵との間に一男三女、後妻・伊與との間にも一男三女を得ることができました。晩年に至っても、雨の日も風の日も、往診に歩き、数えで85歳の長寿を全うしています。杉田玄白は、健康長寿であったことの秘密は、養生にあったと語っています。
古希の前年、養生の大要を「養生七不可」として記しました。
一、昨日の非は恨悔すべからず。
一、明日の是は慮念すべからず。
一、飲と食とは度を過すべからず。
一、正物に非ざれば苟も食すべからず。
一、事なき時は薬を服すべからず。
一、壮実を頼んで房を過すべからず。
一、動作を勤めて安を好むべからず。
の七カ条です。「クヨクヨしない」から入り、「体をよく動かす」で終わる今日でも立派に通用する養生法といえます。
杉田玄白は晩年、好んで「九幸」の雅号を使用していますが、「九幸」とは、「一に泰平に生まれたること。二に都下に長じたること。三に貴賤に交わりたること。四に長寿を保ちたること。五に有禄を食んだること。六にいまだ貧を全くせざること。七に四海に名たること。八に子孫の多きこと。九に老いてますます壮なること」の意味だそうです。
玄白の絶筆は、「医事不如自然(医事は自然にしかず)八十五翁九幸老人書」です。杉田玄白記念公立小浜病院の玄白コーナーで筆蹟を見ることができますが、力強い筆づかいで書かれています。戒名は「九幸院仁誉義真玄白居士」、栄閑院にあるお墓には「九幸杉田先生之墓」と刻まれています。「九幸」を味わった杉田玄白は、いつの時代においても理想的な医師像といえます。